学校の宿題の必要性が、熊本市議会の俎上にあがった。これについて考察したい。
—トピック—
- 熊本市議が、学校の宿題の必要性を疑問視
- 保護者の意見
- 学校外の勉強時間の半分は、宿題が占める
(市民連合 田上辰也議員)「学校の宿題、なぜ必要なんでしょうね。学習は学校だけで完結してほしいものです。」
本質的な意見であると感じる。1コマの時間内に、予定された学習事項を児童生徒が完璧に習得すれば、家庭に持ち帰ってまで学習する必要性はないと言えばその通りである。しかし、現役の教師なら、それは理想論であって、目指すべきものではあっても実現不可能であると誰でも感じると思う。
(保護者)「必要かなとは思います。復習も含め、1日やってきたことを勉強してほしいなという親の気持ちはあります。」
宿題に関しては、親の意向も大きく、筆者も保護者との面談では、「宿題がないと勉強しないので、宿題を出してください。」と言うご意見を今までたくさん頂いた。保護者自身が自分の子供が勉強している姿を見て、精神的な安定を得られるので、そういった意見が出てくるのではないかと思う。現在の保護者の「御用聞き」と化した学校の教員がそういった保護者の意見を無下にすることもできず、保護者の意見も参考にしつつ、宿題を出しているのが現状である。
個人的には、現行の全員一律の宿題は、できる子にとっては、単なる作業であり、できない子にとっては、太刀打ちできない難問であって、個別最適な学びとは言えない。ただ、30人以上いる全ての児童生徒一人一人の学力に合わせた課題を設定するのは、実現不可能であり、現行のやり方で致し方ないと思う。以前と比べ、近年は「自主学習」という半強制的な宿題を設定する学校も増え、自分の興味関心のある内容を調べてくる児童生徒も増えた。教師の一方的課題設定より意欲的に宿題に取り組む児童生徒は増えてきたように感じる。
東京大学社会科学研究所と、ベネッセ教育総合研究所の調査では、学校以外の勉強の時間で、学校の宿題にかけている時間の割合は小学生・中学生ともに半分を占めています。
宿題が、学校外の勉強時間の半分ということは、それなりの時間を掛けていることになる。本当にそれだけの時間を掛けただけのリターンがあればよいと思う。筆者を含めて宿題が保護者の心の安定のためであったり、宿題をやることが宿題をやることの目的になってしまっていないか反省することも必要であろう。
「いわば持ち帰り残業です。もっとのびのびと子どもは地域で家庭で育ってほしいものです。」
発言者が誰か記事から判別できないが、宿題があると、子どもがのびのび育てないとも思えない。ただ、筆者は、学校外の生活の仕方や学習の課題についてあまり言及したくはない。児童生徒や保護者が問題を感じるのであれば、それに応じた対策をする方がよいと思う。責任放棄では?という意見もあるかと思うが、子供は、学校だけが育てるのではない。日本の教育は学校の役割があまりにも多く、責任が重すぎる。


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